ボンビバン島巡りは7月3日、隠岐島連載を更新しました+原油高騰に苦しむ離島
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作成日時 : 2008/07/04 13:33
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1ヵ月に2回更新のボンビバン「ゆっくりと島巡り」(色文字列をクリックすると該当ページが開きます)は昨日7月3日、「隠岐島第12回」を掲載しました。この取材旅行は2006年8月でしたが、あいにく台風10号と同行するような天候に遭遇し、台風との正面衝突は避けられたのですが、予定していた行き先を何か所か変更せざるを得なくなりました。中でも、知夫里島に行けなくなったのは最大の痛恨事でした。
しかし、中ノ島、海士の後鳥羽院山陵で小雨に降られただけで、全体的には快晴と曇天のまだら模様といった感じでしたから、2008年4月の奄美諸島巡りに比べれば、まずまず天気には恵まれたほうでしょう。
島の旅は、突然思い立って行くわけにはいきません。最低でも1ヵ月ほど前には予定を立てるのですが、何よりも天気が心配の種です。しかし1ヵ月後日の天気を正確に予想するなんてことは無理ですから、神頼みということになってしまいます。写真を撮るのも私の重要な仕事の一部ですから、雨に降られると泣きたくなります。大体は天気に恵まれるタイプなのですが、隠岐での知夫里島、奄美での徳之島、与論島では泣かされました。
泣く、といえば、後鳥羽院の行在所、御火葬塚に佇み、王朝から中世の日本の詩歌では、なぜこうも人は泣くのだろう、と考えさえられました。いろいろと考えたすえ、敬愛する丸谷才一さんや目崎徳衛さんの著書にも導かれ、隠岐で後鳥羽院は泣き暮らしていたはずはない、と確信がもてたのは大きな収穫でした。歌における修辞の「泣く」や、「涙」「露」を、そのまま現実生活で「泣く」ことに結びつけたがるのは、あまりよろしくないと思います。
あいにく雨が落ちてきた、中ノ島の後鳥羽院を祀る隠岐神社境内。傘がなくても短時間なら大丈夫という程度の雨でした
隠岐神社のすぐ隣にある後鳥羽院行在所(あんざいしょ)跡。ここに天平年間に聖武天皇の勅によって建立された古刹「源福寺」があり、後鳥羽院はこの寺で19年間を過ごされたのです。残念なことに源福寺は廃仏毀釈で1869年に取り壊されてしまいました
そうそう、泣く、といえばですね、離島に住む人が本当に泣きたいのは、今は原油価格の急騰による燃料費のメチャクチャな高騰です。もちろんこれは離島だけの問題ではないのですが、離島では本土に倍して悪影響が出ています。第一は交通関係なんです。ただでさえ島民人口や観光客が減少し、フェリーや航空機の定期便が減便される傾向にあります。
この傾向が今年の原油高騰でますますひどいことになっているのです。7月3日のNHKテレビの朝の報道番組で、定期便が減ったため、本土の病院に日帰り通院するのが難しくなったという、瀬戸内海の島に住む女性の苦境を伝えていました。腎臓透析を定期的にしなければならない方でしたが、本当にお気の毒なことです。
毎月ご案内している壱岐サロンでお馴染みの壱岐島でも、イカ漁が採算割れになり苦しんでいます。先日漁師たちがついに一斉休業に追い込まれたことは、全国的に報道されました。離島は普段でも本土内より輸送費が余計に掛かるので、物価高は仕方がないと半ばあきらめているのですが、今回のような急激な燃油の高騰は、島の生活を根本から崩壊させかねません。
このブログは島の楽しい話をお伝えするのが本来の使命なのですが、今日だけはお許しいただきましょう。今回の原油高騰は、需給のバランスによる高騰とはほとんど関係がないのです。もちろん原因は一つではありませんが、最大の原因は明らかです。マスコミの報道でも大体は伝わっていますが、要するに、行き場に困った投機的資金が市場に流入していること、です。つまり、金融資本主義経済の行き過ぎがもたらしたものなのです。
これをどうして、各国の政府は抑えることが出来ないのでしょうか。自由主義経済、市場経済主義の建前からですか、それともこの事態を歓迎している立場の国や組織への配慮からでしょうか? こんなに原因がはっきりしていながら、何の手も打てない政治なんて、それは政治といえるのでしょうか? 原油高騰による悪影響は、今後さらに広がって行くでしょう。そして今この事態を歓迎している人たちも、やがてそれが彼らの首を絞めることになることを知るべきなのですが……。
隠岐、島前の島を結ぶ小型フェリー。本土の電車やバスの役割を担うこのような定期便にも、減便が迫られています。なんとかしなくてはいけません
なお、こんな時ではありますが、ボンビバンの「ゆっくりと島巡り」は、7月17日から「奄美諸島〜徳之島、沖永良部島、与論島」の連載が始まります。その間隙を縫って、伊豆大島、佐渡島、五島福江島など他島の追加情報もお届けする予定です。ご期待ください。
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