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ボンビバン「ゆっくりと島巡り」の隠岐連載は「島後」に上陸しました

<<   作成日時 : 2008/06/03 13:39   >>

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 上陸というと台風みたいですが、ボンビバンの「ゆっくりと島巡り」の隠岐島連載が、ちょっと長居をしました中ノ島から、やっと島後(どうご)にたどり着いたというご案内でございます。中ノ島では精神的にも時間的にも、海士(あま)に流罪となった後鳥羽上皇に引き止められておりました。後鳥羽上皇は承久の乱(1221年)で敗れたときに出家しておりますので、後鳥羽法皇であり、また後鳥羽院とも呼ばれています。しかし海士では今でも人々は敬愛をこめて「ゴトバさん」と呼ぶことが多いようです。
 海士町は優れた「まちおこし」「島おこし」政策で、全国でもすっかり有名になりましたが、王朝時代から武家時代へと転換する、中世の重大局面で大きな役割を果たした後鳥羽院は、島の一番の宝物ではないかと、私は思っています。後鳥羽院はきっとこれからも、島にとって大きな仕事をされる、と確信するのであります。

 ボンビバンの連載では、5月8日掲載第8回で、中ノ島菱浦港をフェリー「くにが」で出港、島後(どうご)に向かっております。隠岐島への旅は、大阪空港からジェット機で隠岐空港に着陸、すぐに西郷港から西の島の別府港へ、別府港から菱浦港へ、そして菱浦港から島後の西郷港へ、という順路なので、5月22日掲載の第9回は、隠岐の旅路では2度目の西郷港上陸ということになります。

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隠岐島前3島と島後の間の日本海は、島後水道という海峡で、たくさんの無人島が浮かぶ典型的な美しい多島海です。しかし、潮の流れは速く、小さな船には難所だったので、島前、島後は実際の距離以上に遠い隣組でした

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島後の静かな入り江にある、島の表玄関「西郷港」のフェリーターミナル


 隠岐島は、神話と伝説の国といわれてきました。神社仏閣が4島合わせると200以上という数の多さも、そのひとつのあらわれかもしれません。ボンビバンの連載では、隠岐一宮である「水若酢神社」を6月5日掲載の第10回で紹介する予定です。
 5月22日掲載の第9回では、2007年2月25日火災に見舞われた隠岐国分寺のすぐ隣の「隠岐国分寺外苑牛突場(通称、隠岐モーモードーム)」に立ち寄ったところから始まります。国分寺は火災直後の昨年3月7日掲載号で、特報:隠岐国分寺本堂焼失として紹介しました。
 牛突きは闘牛の一種ですが、後鳥羽院の隠岐流罪に由来を発しているといわれています。後鳥羽院がある日、子牛が頭を突つきあって戯れているのをご覧になり、たいそう喜ばれたので、その後心優しい村の人々が「牛突き」で、後鳥羽院をお慰めした、というのです。

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引き綱を付けたまま最後まで闘うのがルールで、この綱とりの技術や勇気が勝負の決め手にもなります。まさに、人牛一体の激しい攻防戦です

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  どうです、この気合の入った牛の表情を。怖いくらいの、いい顔ですね

「牛突き」はいわば牛の相撲といったところですが、隠岐では人間の相撲も盛んで「隠岐古典相撲」は全国的に有名です。これは大相撲に見た目は似ていますが、中身はずいぶん違っています。まず、第1に定期的に行われるものではありません。何か特別なお祝い事があった時にだけ開催されるのです。最近ですと、2006年のジェット機が離発着できる新隠岐空港の開港記念、そして昨年2007年は隠岐水産高校の創立100周年、という具合です。これはたまたま2年連続したのですが、何年も行われないこともあります。詳しくはボンビバンの隠岐連載をご覧ください。
 もっとも注目すべき点は、隠岐の古典相撲は2番勝負で、同じ力士が2番戦うところです。そして、最初に買った力士は、次の1番では相手に勝ちを譲るのです。互いの健闘を讃えあい、けっして恨みを残さないための昔からの工夫だそうです。そして、賞品は特設土俵に作られた四本柱だけ。
 じゃあ、それほど人気がないのではと思われるかもしれませんが、どっこい正反対。この古典相撲に参加することは大変な名誉ですし、村中の人が熱い応援をして参加する非常に盛大なものなのです。優勝者は賞品の柱を家の軒にぶら下げて家宝とします。

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水若酢神社境内にある土俵。古典相撲の土地柄だけあって、相撲は盛んで土俵もあちこちで見受けられます。四本柱のある土俵は懐かしいですね

 ここで、最近の大相撲のことを思い浮かべるのは私の悪いクセですが、最近大相撲では何かと世間を騒がせる問題が起こっていますね。原因はいろいろなことが絡まりあって複雑ですが、根本にあるのは、相撲が単なる格闘技の1種であるスポーツなのか、それとも神事的要素を含む民俗芸能的スポーツなのか、という考え方の違いによるところも大きいのではないでしょうか。
 大横綱だった大鵬さんは、最近の新聞でこんなことをいわれてます。
「昔は苦労は買ってでもしろといわれましたが、昔は買うも買わないも最初から苦労が待っていたもので、それをみんなで乗り越えてきた。今は、誰もが“お金”のことばかり考えている」
 要するに、強くなって大金が稼げるスポーツだから、海外からも力士が集まってくるわけですね。そうそう、また思い出してしまいましたが、先々代若乃花、あの貴乃花の伯父さんで、栃錦と並んで栃若時代を築いた、大横綱です。彼は「土俵にはお金が埋まっている」といいました。でも、その心は、力士は貧しくてもしっかり稽古をして、強くなれば自然にお金はついてくるものだ、という意味です。今はその当時と稼ぐ額もまったく違いますし、力士だけではなく世間一般の考え方や価値観もかなり変わってしまいました。
 こういう風潮の中で、ただ品位だ、辛抱だなんていったって今の若者には通じないでしょうね。お座なりに委員会を作って、品位がある(はずの)部外者に意見を聞いたって何も始まりません。大相撲の根本の仕組みを誰にも分かるように説明してくれなくちゃ、何ひとつ解決しないでしょうね。いや〜余談が長くなりまして恐縮です。

 じつはそんな折から、何と30年ぶりに大相撲の隠岐巡業が決定したのです。開催は今年2008年10月23日。5月20日に隠岐の島町で、地元経済団体などでつくる「大相撲隠岐の島町場所実行委員会」と「日本相撲協会」が開催契約に調印しました。横綱の朝青龍や白鵬をはじめ、隠岐島町出身の幕下力士2名を含む160人が参加し、取り組みや公開稽古を披露します。
 そこで、提案。巡業ど同時に「古典相撲」を開催して、大相撲の力士や親方たちに見学させてはどうだろうか、と。大相撲の原点を振り返る参考になるかもしれない、なんて思います。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
しばらくぶりで覗いたら、いい牛の顔が載っていて見にきた甲斐があったというもの。人間の相撲の話はねえ、本当をいうとあちこちカドがたつなあ。でも、髪を金色にした漫画家や、人相の悪い年寄りが品位だなんていうと、なんか勘違いしてるんじゃないか、って俺は思う。
ムネオ
2008/06/03 15:41
お元気でしたか、ムネオ様。お久しぶりです。牛の顔はボンビバンの連載にも別なものが載ってますからぜひご覧ください。牛突きの牛は怖い顔してますが、品位はあるんだそうですよ。横綱審議委員さんたちより風格もある、なんていったら、叱られそうですけどね、ハハハ。
島旅人・船木
2008/06/05 17:48
牛の顔つき、いいですねえ。こういう大きな動物を伝統のためだけに飼って育てるというのは、想像以上に大変なことだと思います。でも、隠岐の人たちの気持ちがわかるような気がします。
村田
2008/06/09 06:44

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