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島巡り・隠岐連載再開。海士町の山陵で後鳥羽院を偲び、町の生き残り作戦成功を祈る

<<   作成日時 : 2008/03/21 13:59   >>

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 桜前線が気になる時期ですが、予想は少し早まって東京は3月23日の開花だそうです。所用があって17日午後、東京高尾まで出かけましたが、途中の道で出会った桜は、蕾がかなり膨らんでもはや臨開体勢といった感じでした。桜といえば、

 さくら咲く遠山鳥のしだり尾の ながながし日もあかぬ色かな

 この歌は承久の乱の敗北による流罪で、隠岐中ノ島海士町(あままち)の行在所(あんざいしょ)で、19年を過ごされ、その地で崩御された後鳥羽院の作です。院の和歌における師匠筋にあたる藤原俊成(法名・釈阿)、藤原定家のお父さんですが、この方があの時代にしては抜きん出た長寿に恵まれ、後鳥羽院は1203(建仁3)年に俊成の90歳を祝う賀宴を主催されました。「さくら咲く〜」の名歌はその時に詠まれたものです。新古今集第2巻春歌(下)に収録されています。

 時の最高権力者が流罪となり、そのまま都に戻ることなく、その地で崩御されたという例は後鳥羽院が初めてのことです。後に、同じく承久の乱に連座して佐渡島に流された、院の次男にあたる順徳院も佐渡島で崩御されました。後鳥羽院の火葬塚を訪ねるところから始まる、ボンビバン「ゆっくりと島めぐり」の隠岐島連載再開第5回「後鳥羽院と隠岐中ノ島」(文字列をクリックすると該当ページが開きます)は、昨日3月20日に掲載されました。

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隠岐神社は1939(昭和14)年、後鳥羽上皇の700年忌を記念して、火葬塚、行在所に隣接する地に造営されました。社殿は独特の隠岐造り、参道の見事な桜並木は有数の桜の名所としても知られています

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参道にはもうすぐ、一日中見ていても少しも見飽きない(ながながし日もあかぬ)こんな桜が咲き誇ることでしょう。ただし、この桜は島旅人・船木宅近く、神代植物公園のものです!!

 後鳥羽院をお守りしてきた海士町は、それだけでも歴史に特別な1ページを刻む「特別な町」なのですが、人口の老齢化、過疎化、財政の逼迫に悩まされていることは、他の過疎地、離島と少しも変わりません。
 現町長の山内道雄さんは、夕張は対岸の火事ではない、海士町も財政再建団体転落の一歩手前という状態に追い込まれている、とその著書『離島発 生き残るための10の戦略』(NHK出版「生活人新書」2007年6月刊)で書かれています。
 2002年町長に初当選した山内さんは、「最後尾から最先端へ」というユニークな発想で、次々と島の生き残り作戦を展開して奮戦中です。本ブログ昨年8月9日の、「隠岐牛、美味しいですよ〜!!」でご案内した「隠岐牛」も、山内町長が陣頭指揮する海士町の「島丸ごとブランド化戦略」だったんですねえ。1992年の小泉内閣のいわゆる「三位一体の改革」によって、極端にいえば全国の地方自治体が苦境に立たされています。ことの是非についてはここでは触れませんが、海士町では町長はじめ職員も減給して、「日本一安い給料で日本一働く」自治体運営をしています。涙の出るような話です。ぜひ、山内さんの本をお読みください。
 後鳥羽院の火葬塚、行在所跡、隠岐神社とゆかりの地を訪ね、まさにその「土」を踏みしめた感動を反芻しつつ、海士町の再建計画が成功されるよう、こころからお祈りします。

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海士町の町長、山内道雄さんの著書。町長と町職員、住民が一体となった離島の生き残り作戦の奮闘ぶりが生き生きと書かれています

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隠岐中ノ島海士町「地域づくり総務大臣表彰」第1号受賞、順調に進む生き残り作戦
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2008/04/04 16:43

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